デュアンオールマンは天才的なスライドギターマスター。しかしその根底にある音楽性が天才デュアンオールマンである。

アメリカン・ロックの手本となった

デュアンオールマンのスタイル

実体験で得たブルース・フィーリングの現代的解釈と、自由奔放なスライド・プレイ、そして多種多様な音楽の吸収

南部特有のホットで男臭いアメリカン・サウンドを守り続け、今もなお精力的に活動しかし、オールマン・ブラザーズバンドにはデュアンオールマンの姿はない。

デュアンオールマンはスライド奏法(ボトルネック奏法)を多用したブルージーでワンアンドオンリーなギタースタイルのエリッククラプトンをはじめ世界中のギタリストに多大な影響をあたえた。

デュアンオールマンのギタースタイルといえばやはりスライド・ギター。スカイ・ドックのニックネームが示すそのスライドプレイは、まさしく空をかけるがごとく自由に音を奏でている。スライド・ギター自体は一部のブルース・ギタリストの間でそれまでも弾かれ続けていた。

デュアンオールマンもジェシ・エド・デイビスの「ステイツボロ・ブルーズ」という曲の中で使われているスライドギターを聴いて影響され始めている。「ステイツボロ・ブルーズ」は、デュアンオールマンの大のお気に入りの曲で、オールマン・ブラザーズ・バンドのステージでは必ず演奏されていた。しかし、そのブルーズのテクニックをファットで歪んだ音とどこまでも伸びるサステイン、自由奔放な音遣いで普遍的なギターテクニックのひとつにしたのは間違いなくデュアンオールマンである。デュアンオールマンは、天才の名をほしいままにしながらも、24歳という若さでこの世を去った。

しかし、デュアンオールマンなくして、

あのデレクアンドドミノスの名作「いとしのレイラ」も誕生しなかったはずだ・・・

デュアンオールマンは、1946年アメリカの南部テネシー州ナッシュビルに生まれ、12才の頃フロリダ州マイアミに移り、そこで育ちました。先にギターをはじめていた 弟、グレッグの影響で15才の頃よりギターを弾き始める。

高校を中退したデュアンオールマンは、家でギターの練習に精を出し始めた。そのころにはすでに音楽で生活することを決意していたという。1965年、弟の卒業を待ってバンド、オールマン・ジョイズを結成。精力的にライブ活動を続けていく。

1967年、オリジナルのオールマン・ジョイズは解散、メンバーを変えて再結成。バンド名はすぐに Almanacと変更される。

1968年、バンドはL.A.に移りアワーグラスと名を変えてリバティ・レコードよりデビュー。このアワーグラスは完全にレーベルの支配下あったバンドで、奇抜な衣装を着せられポップなサイケデリック・ロックをプレイさせられている。デュアンオールマンのギターも精細をかき、全体に飲み込まれ、天才の片鱗はレコードは聴くことができない。

アワーグラスはレコードを2枚の残して解散。デュアンオールマンはマッスルショルツに移りセッションマンとして活動していく。そこでのセッションが第1期の伝説となっていく。

彼のニックネームであるスカイ・ドッグも当時ウィルソン・ピケットとのセッションで名付けられた。

最初は楽しんでいたセッションライフもしばらくすると金のためにプレイする人々に嫌気がさし、ジャックスビルにときどき帰り、のちのオールマン・ブラザーズ・バンドのメンバーになるディッキー・ベッツ達とのセッションに楽しみを見つけ出す。そしてカリフォルニアに住んでいたグレッグを呼び寄せ、 1968年3月26日、オールマン・ブラザーズ・バンドを結成した。

その後2枚のスタジオ盤と2枚組のライブ盤、エリッククラプトンとのデレク&ドミノス、いくつかのセッション・ワークをのこした。

デュアン・オールマンは1971年10年29日、バイクの事故で他界。享年24才。

デュアンオールマンの音楽性はブルーズの現代的解釈によるプレイであるともいえる。

対位法や4度5度のハーモニー・ギター、効果的なユニゾン・プレイなどは今もなおアメリカン・ロックのツイン・リードのスタイルで手本となっている。

デュアンオールマンは、オールマン・ブラザーズ・バンドでディッキーベッツとのツインリードスタイルの可能性を追求もしていった

ディアンオールマンが、オールマン・ブラザーズ・バンドを組む、数年前、イギリスで、一世を風靡したブルーズ・ロックにはかなりの影響を受けている。

その中でも、とりあわけヤードバーズのジェフ・ベックは彼のお気に入りだった。

エリッククラプトンをはじめとするイギリスのギタリスト達に対して、彼はブルーズ体験において決定的なアドヴァンテージを持っていた。

イギリスのミュージシャン達が、レコードを通してでしか知らなかったブルーズをデュアンオールマンは南部という土地柄、日常の音楽として生で体験してきている。

そのため、より本物に近い感覚でブルーズをプレイすることができた。

デュアンオールマンをただのブルーズギタリストで終わらせなかった理由にはもう一つある。それは幅広い音楽性である。

ブルーズ・ロックな音楽の中にも、デュアンオールマンは、ジャズ、中東音楽、ボサノバ、ケイジャンなど多様な音楽のフレイバーが含まれている。

特に、マイルス・デイビス、ジョン・コルトレーンが好きだったようで、モードジャズを追求した二人音楽が、コードにとらわれず、ギターの指板の上をスライドで滑り出すデュアンオールマンのギタースタイルと重なったのだろう。 モーダルなスタイルのプレイはまさしくその影響であろう。

コルトレーンについては誰よりも理解しているつもりだとデュアンオールマンは語っている。

のちにマイルスデイビスがすすめていく、クロスオーバーという言葉もないころ、その発想でプレイしていたのは、まさしく、天才ジミ・ヘンドリックスとデュアンオールマンの二人であろう。

デュアンオールマンを物語るのは、まさしくライブ。

ライブ至上主義とは、デュアンオールマンのようなミュージシャンのこと

「ライブが一番自然で、レコーディングはストレス以外の何物でもない」

とデュアンオールマンは、自分のプレスタイルに対し興味深い話をしている。

そのライブの大半が無料コンサート。

客がお金を払うコンサートだと、バンドに対して代価を要求してくる。無料だと何も求めてこないのでより自然な姿で客とコミュニケートできる。ライブでは誰かのためにプレイはしたくない。

この言葉が、スカイドック、デュアンオールマンを物語っている。